企業算命の開発背景 その3 〜宿命と運命〜
人間の力には、先天的に与えられた力と、後天的に獲得する力があります。
先天的にどのような力を与えられているのか、また、どのような人生のシナリオを抱えて生まれてきたのかを表すものが宿命です。
後天的な努力によって、人生をマネジメントすることが運命です。
つまり、どのような命を宿しているかが宿命で、どのように命を運ぶかが運命であると私は定義しています。
動物と人間の違い
動物と人間は何が違うのでしょうか?
少しだけ考えてみてください。
動物も人間も、この星に生かされている存在ですが、両者の間には、決定的に違う点が1つだけあると私は考えています。
それが運命です。
動物は自らを生かす原理に逆らうようなことは決してありません。
猿が今まで真水で芋を洗っていたのに、ある時から塩水で洗って食べるようになるという知恵をつける程度のことはありますが、基本的に種ごとに決まった生き方を延々と踏襲し続けます。
人間はどうでしょうか?
環境破壊や食料として必要とする以上の殺戮や同一種族間での殺し合いなど、自らを生かしている原理やメカニズムに逆った生き方が可能な生き物です。
つまり、宿命を無視した生き方ができてしまうのが人間です。
しかし、先天の恩恵としての自然環境を傷つけるような生き方や社会が、真に幸福をもたらしはしないことに現代人はもう薄々気がついているのではないでしょうか。
運命は宿命に従って活かさなければならないものなのです。
宿命こそ人の本質
子供じみた発想かもしれませんが、先天の力と後天の力では、どちらが強いでしょうか?
問い方を変えると、宿命と運命では、どちらがより強く人生に影響を与えているでしょうか?
天地が作り出したものよりも人の作り出したものの方が強大であると捉えるのは、人間の傲慢です。
人を知ることに関して、パレートの法則(80:20の法則)で言うところの8割の結果を出す原因となる2割は、宿命を知ることであると私は考えています。
人を知るためには、その人が何をしてきたのかを見る前に、どのような宿命を背負った人間なのかを見なければならないのです。
宿命は例えるなら、陸上選手にとっての筋肉の組成のようなものです。
生まれつき赤筋が多い陸上選手は、短距離走者を目指しても残念ながら一流にはなれないのです。
どんなに努力しても、先天的に白筋が多い選手には届かないのですから、その選手がどのような努力をしてきたかを知ったところで無益です。
その選手を長距離走者にすべきか短距離走者にすべきかを決めるためには、まずもって筋肉の組成を知ることが必要不可欠です。
では、御社では、人材採用や人事異動の際に人の何を見ていますか?
経歴、資格、印象といった後天的な情報だけを用いているとしたら、そのような項目を重要視してきた結果が望ましいものであったかどうか、振り返ってみて如何でしょうか?
人が積み重ねてきた努力について検討するならば、それがその人の宿命という土俵にフィットしたものかどうかを軸にするべきです。
宿命に基づかない努力が、良い実を結ぶことはないのですから。
適性検査やタイプ診断についても同様です。
それらの結果は、被験者の思考に基づいていますから、後天の要素を知るためのものです。
宿命を知らずして、運命のみを知っても虚しいだけではないでしょうか。
ちなみに、本来は先天と後天について強弱を考えるようなものではなく、陰陽として捉えるべきものですが、陰陽論については稿を改めます。
人為を消すことによる属人性の排除
「企業算命の開発背景 その2 〜世界と人間の構成要素」にて、天地人三才に触れました。
天は、純粋に宿命を示しています。
地は、宿命と運命の結果を同時に表しています。
人相は、遺伝と当人の生き様の結果だからです。
人は、運命への祈りや願いです。
従って、天地人の3要素を同時に扱うことで、宿命で運命を照らすことができるのです。
その人がこれまでの人生において、宿命からの問いかけに逃げずに答えてきたのかどうか、現時点でどのような行動特性を示すかといった事柄を観ることができるという意味です。
企業算命では、そのようにして人を鑑定しています。
先天要素を基礎とし、後天要素を加味して評価しているのです。
なお、後天要素として用いるのは、頭蓋部の構造と名前だけであり、思考などの作為的に偽ることができる要素は一切考慮に含めていません。
我々が行う鑑定自体が人為であることを脇に置きますが、つまりは、人物評価に人為を含めないことによって、一定の基準に沿った判断が可能となり、人材採用や人事異動の意思決定から属人性を排除できるということです。